
播州織との出会い
播州とは現在の兵庫県西脇市、
北播磨のあたりをさします。
播州地方は綿先染め織物が産地で、
播州織の歴史は200年以上になります。
私は以前、日本の綿織物について調べていた所、
日本の先染め綿織物の播州織は
世界でも評価の高い織物と知りました。
そこでいくつかの機屋さんにお話を伺いながら、
今回は縁あって織馬鹿・高瀬さんの織物に
出会うことができました。
播州織の特徴は綿の先染め織物です。
先染めにすることによって、
深みのある、きれいな色に染まります。
また使い込みことにより、味わい深い
やわらかな風合いにもなります。
そして丈夫です。
中でも織馬鹿さんのジャカード織は
細い糸を単糸使いしたジャカード織の為、
ふんわりと軽くて柔らかく、
ジャカードのもつ凹凸感がとても素敵なのです!
織柄は現代風にアレンジされていて
洋服に合わせやすく使いやすい。
伝統的な織物の技術を大切にしながらも、
’今っぽさ’のある、そして、使えば使うほど
軽さと馴染みのでてくる播州織。
色と風合いにこだわったストールは老若男女ともに、
一年通して快適に使える
日々の生活に’ちょうど’のストールです。
その中から特におすすめの6型をご用意しました。
播州織の歴史と生産工程

日本の綿織物といえば、播州織
播州織は1700年代初め頃、温暖な気候を活かして綿花の栽培がはじまり、この綿花は地元の人の衣類を作るためのものとしてはじまりました。
産業としては、当時の播州の宮大工・飛田安兵衛によって、
京都の西陣織から織物製作の技術にヒントを得たのが
はじまりです。
当時の播州では、腰を降ろして操作する平機で生産性が悪いものでしたが、それに対し京都の西陣では腰掛が高く楽な姿勢で織ることのできる高機が使われていました。
そこで安兵衛は高機に着目し、京都滞在中に織機の構造を
研究して播州に帰郷し農家の副業がはじまりました。
兵庫県西脇市一帯は、緑濃い山並み県下最大長河川、加古川。その良質で豊富な水資源こそが染色に適し、先染めをして織る播州織にとって、不可欠となる最高の立地条件でした。
江戸時代末期には工場制手工業になり、産地として発展。
明治の初めには西脇・多可地方の機業家は約70戸に達し、
藍染を中心とした植物染料を用いた織物の生産が中心に
行われていたそうです。
それから産業が幅広く進み、大正12(1923)年9月、
関東大震災で貿易港が横浜から神戸にシフトされ、
それによって播州織の輸出転換への転機となり、世界の
綿織物産地として多くの人々に知られる様になりました。

糸の染色
播州織の糸は’先染め’が基本。日本の先染め綿織物の80%が
播州でつくられています。
先染めとは、糸の段階で染めることを
先染めといいます。
糸の一本一本をそれぞれの色に染めていきますので、
繊維の芯まで美しく染まります。
また、細かな色柄の織物を作ることが可能になります。
染色工場では、仕入れられた糸を大きな釜に入れます。
染料を高温で熱して糸一本一本の芯まで染め上げます。
播州地方は、加古川からの自然豊かな土地で水もキレイです。
先染め織物に大切な染色にも適した軟水の水が
流れており、多彩な色の表現を可能にしています。
芯まで染まることによって、使い込みほどに独特の
優しさと風合いがあり、深みのある色になります。

糸の整形
織りたい柄をイメージして、
経糸の整糸・糊付けをおこないます。
糊付けとは、織るときに糸を切れにくくするために
経糸に糊を付ける工程のことです。
糊は最終の加工の時に落とされます。

糸を織る
経糸と緯糸で様々な柄を表現することができ、
先染め織物ならではの凹凸感も表現することができます。
先染め織物には「紋組織」というものがあり、
糸を上下どちらにするかで柄ができます。
工場によって導入している機械が異なり、
その機械によってできるものも違いますが、
織馬鹿では、ジャガード織機というものを導入しており、
複雑な柄も表現することができます。

商品の加工
織り上がった生地は加工場へ運びます。
播州にはたくさんの加工方法の技術があり、
その中から最適な加工方法を加工場の方と
打ち合わせして選びます。
織馬鹿のストールは、サイドもフリンジ仕立てに
なっており、首に巻いた時に柔らかな巻き心地と
表情になります。